伊勢ノ海部屋について

荒馬
十六代目を数える名力士。寛政年間の荒馬源弥、天保年間の荒馬吉五郎の二人は強豪関脇として名高い。部屋の幕内力士十一代目の荒馬鬼吉(初代豊山)は釧路に健在。
瀧ノ音
文化5年(1808)大関となった柏戸宗五郎の前名。のち四代目伊勢ノ海を継いだ。西宮出身の明治の大阪横綱八陣も若い頃この名を名乗った。
大綱
あの無敵雷電に勝ったことがある寛政時代の名力士。最高位小結。幕内最高成績(現在の優勝)も一度ある。
雷山>
初っ切りの名人といわれた先代雷電は江戸っ子力士。一時、柏戸を名乗ったこともある。また明治時代の雷山は、常陸山を破ったこともあるクセ者だった。
荒飛
七代伊勢ノ海が若い頃名乗った名前。のち六代柏戸。最高位前頭筆頭。鯱ノ海-猫又-荒飛-狭布ノ里-柏戸と名前を変えたのでも有名。
外ヶ濱
五代、六代の伊勢ノ海の前名。特に五代を襲名した柏戸利助は、京都五條家より横綱免許をうけた青森出身の名力士。
当り矢
明治29年入幕し42年まで取った息の長い力士。160cmの短躯ながら、真っ向から勝負をつける相撲で、激しい気性で張り手もみせた。最高位前頭4枚目。取り口と名前とがよく合う力士。
黒岩
幕末の黒岩森ノ助は、群馬県板倉町出身。前名を藤嵐と言う。関脇まで上がった名力士。幕内最高成績3回